いつかキリンになりたい

アイドルとキリンをこよなく愛するWEBの世界の住人です。

アイドルを物象化するファンと、ファンを物象化するアイドル

2013年ツアー「JUKEBOX」

関ジャニ∞の2013年のツアー「JUKEBOX」が1/19に千秋楽を迎えました。ツアーは質より量派のわたしですので、もちろん全公演に入りました(だって全13公演だよ?13公演しかないのに全ステ以外の選択肢ある?って一般人の友達に言ったら引かれました)。

2013年のわたしのテーマは「物象化との戦い」でした。物象化って言うとあれだけど…「eighter」の中の1人である自分と「eighter」とのズレを考えようということですね。

ちなみに「eighter」というのは、関ジャニ∞のファンのことです。メンバーの渋谷さん発信の単語です。ファンには「うちらエイター」系の心酔派もいれば、「エイターって使うの恥ずかしい」という斜に構えている派もいます。わたしはどちらかというと後者です。恥ずかしいです。

アイドルと物象化

アイドルを物象化するわたし

今回のツアー、メンバー7人それぞれのアップの映像が一斉にモニターに映し出される演出があるのですが、わたしはいつもそこで大号泣していました。「この7人が集まって今ここに立っている奇跡」みたいなものを考えて涙を抑えられなかったわけですが(はいキモヲタ〜)、恐らく丸山さん1人の映像であんな感情は生まれないと思うので、わたしは7人まるっとそろった関ジャニ∞さんに特別な感情を抱いているんだと思います。

この7人がそろった「関ジャニ∞」という実体のないものこそが、メンバー7人を物象化したものです(本来の「物象化」の意味とはちょっとズレてくるのですが、まあ同じようなものなので物象化と呼んでいます)。わたしたぶん関ジャニ∞が解散したら個人個人をずっとは応援し続けられないと思っています。つまり「関ジャニ∞に所属している7人」が好きで、「関ジャニ∞に所属している丸山さん」だから応援しているのですね。

そう考えてみると、アイドルグループって「そのメンバーが組み合わさって1つの人格を作るもの」なので(例えば丸山さんは「関ジャニ∞」という人格を作る1つの要素であるわけで、いわば細胞のようなもの)、アイドルのファンをやるということは少なからず対象を物象化しているのだと思います。わたしはももクロちゃんと娘。ちゃんも好きだけど、やっぱりそのグループだからこそ好きなのですね。

ちなみにこのメンバーの物象化がとても上手くいっているのが、ジャニーズなら嵐だと思います。アイドルグループって、基本的に多様な人格のメンバーを集めるのが定石のはずです。例えばSMAPだとカリスマアイドル木村くん・ヤンキーっぽい中居くん・おとなしい草なぎくん・ノーブルな稲垣くん・やんちゃな香取くんと、「この5人が同じクラスにいたらあんまり仲良くはしてなさそうだな」みたいなメンバーを無理やり1つにして「いろんな面があるSMAPという人格」を作るわけですね。ただ嵐って、確かにメンバーそれぞれの性格は全く違うんですが、実はどこか似ているんです。もし嵐の5人が同じクラスにいたら、多分この5人は仲良くしてそうだなっていうのが想像できる。もともとはほんとに性格もバラバラだったんだけど、いつの間にやら似てきてしまったのだろうとわたしは推測してるのですが、このあたりは長くなるのでまた今度。メンバーがどこか似ているので、嵐は「いろんな面を持ってはいるんだけど、基本的な人格はコレですよ」というのを押し出せるグループになったわけで、その「基本的な人格」(よく言われる、草食系男子っぽさですかね)がウケたんじゃないかと思います。そういう意味で言うと関ジャニ∞基本的な人格はただの関西のお兄ちゃんなので嵐と同様の要素は持っているんですが、関西のお兄ちゃんよりは草食系男子の方がとっつきやすいということでしょう。

話がそれました。とにかく、わたしは「関ジャニ∞」というものが好きなわけで、それはメンバー7人のことを物象化しているのだと考えています。

「ファン」を物象化するアイドル

そもそもわたしは、なんとなく関ジャニ∞の皆さんが考えている「eighter」と実際のファンにはズレがあるなあと感じていました。

前から関ジャニ∞のメンバーは「eighter」を「支えてくれる存在」として扱ってくれるように思います。2013年発売のアルバム「JUKEBOX」には「All is well」という、メンバー全員で作詞した曲が収録されており、これはメンバーいわく「ファンへのラブソング」だそうですが、サビの歌詞は「ありがとう」のオンパレードです。ライブではこの曲を作曲した安田くんの挨拶からこの曲に入るのですが、13公演全てで共通してこの挨拶に含まれていたのが、「ファンのみんなに恩返しがしたい」「言葉では伝えきれないから曲を書いた」という要素でした。

ここに、わたしと関ジャニ∞が考える「ファン」に違いがあったわけです。そもそも「eighter」ってそんなに綺麗なものじゃないじゃないです。銀テープ(演出で降ってくるんです)を求めて柵を超えて走り回るおばさんとか見ると、本当にこれが「大切なファン」と言えるのか疑問に思います。2012年あたりからチケットのやり取りで「相場理解」という言葉が聞かれるようになりましたが、要するに定価以上の値段でチケットを売ろうとするファンも増えています。わたしは今回アリーナ席に何回か入りましたが、メンバーが近づくと席を離れて近くに殺到するファンがあまりにも多くて恐怖すら覚えました。人間の醜さというか、女の怖さというか、ファンを見ているとそんなものを感じることの方が多いほどです。

そんな実態を見ているからこそ、関ジャニ∞のみなさんが「ファンは家族」だとか言っているのを聞くと心苦しいばかりでした。メンバーは、多かれ少なかれファンのことを美化しているし、その理想のファンには程遠い自分や周りを見ては違和感を覚えていました。

しかし、わたしが関ジャニ∞を物象化しているように、もしかしたら彼らもファンというものを物象化しているのかもしれないということに今回のツアーで気づきました。

結論!

物象化には、多かれ少なかれ自分たちに都合のいいようにする意思が発生します。わたしが物象化について初めて読んだのは戦争の論文だったけど、要するに戦争では距離が遠くなるにつれ殺す敵国の国民を「物」として扱うようになるって話ですね。そこでは、例えばミサイルのスイッチを押す軍兵は「憎き敵国の国民はすべからく憎き人格である」と、自分たちに都合のいいように解釈をするわけです。

それと同様に、やっぱりわたしも関ジャニ∞を物象化するときは都合のいいように事実をこねくりまわしています。そして「いつも素敵で大好きな関ジャニ∞さん」を作り上げているわけですね。

おそらくわたしと同様にアイドル側も、「ファン」を自分たちにとって「大切なファン」であるようにいいように解釈して物象化しているのではないでしょうか。そう考えると、わたしは美人でも金持ちでも性格がいいわけでもないけれど、「eighter」の「ワンオブゼム」であることで、関ジャニ∞の「大切なファン」であることができるわけですね。それって結構素敵じゃん、というのがわたしの結論でした。

 

それにしても、こう長々と書いている中で、やっぱりこの現象は「物象化」という単語とはちょっとニュアンスが違うような気がしてきました。これ、なんていえばいいんですかねえ…もうちょっと考える余地はありそうです。